人生80年時代の生涯生活設計(20)〜第二の人生は「出世で得られるやりがいとは違うものを」〜 |
「出世で得られるやりがいとは違うものもある」(2007年11月2日付読売新聞13版38面 社会欄) |
私は定年後の第二の人生を自己実現の時代と捉え、CGBSホームページの「CGBSのレポート一覧」で、「人生80年代の生涯生活設計」をテーマに、現役時代のできるだけ早いうちから定年後の自己実現(自分らしく生きがいを持って毎日を過ごす)のための取り組みを提唱してきました。これは、企業社会の出世で得られるやりがいとは違うものです。このレポート作成のため、日々読売新聞やホームページなどであれこれ情報を探しているうちに、前述の「山一マンの10年」が目に留まりました。
この連載のうち、2007年11月2日付けの「山一マンの10年」(3)「夫婦で走る第二の人生」と題する特集の結びに書かれていた「出世で得られるやりがいとは違うものもある。」という一文に、私が提唱している定年後の自己実現の本質に通じるものを感じましたので、新聞記事より部分引用でご紹介します。皆さんの定年後の生涯生活設計を計画する際の参考になれば望外の喜びです。
・・・日曜日の午前中、千葉・花見川沿いに続くサイクリングコース。ロード用のヘルメットをかぶり、藤橋忍(64)は上流に向かって自転車を走らせる。後ろには妻(56)の自転車が続く。
山一証券時代、日曜といえば、接待ゴルフと決まっていた。(中略)平日の夜は宴席に、休日ともなればゴルフに役人たちを誘った。
「息子の運動会に出たことがないんです」。(中略)課長、次長、室長と地位が上がり、やがて、同期の中で一番早く常務取締役に昇進する。
だが、1997年11月、当時の社長・野沢正平(69)と藤橋に、「自主廃業を選択してもらいたい」と通告したのは、頼りにしていたはずの大蔵省だった。「顔を上げて歩けなかった」と、藤橋は振り返る。(中略)
かつての同僚と小さな投資顧問会社を始めたものの、再び兜町に足を踏み入れる気持ちは起きなかった。(中略)
「会社のことしか考えなかった生き方を変えよう」。2000年11月、消防車両メーカー「モリタ」に移ってから、妻を初めてゴルフ練習場に誘った。山一の秘書課に2年間勤め、23歳で結婚した妻。一連の事件では船橋の自宅を4回も捜索され、家計簿まで押収された。遅ればせながら、共通の時間を持ちたかった。ふと周囲に目をやると、週末の練習場には、夫婦の姿が目立った。今まで気付かなかった。
モリタに定年まで勤めた藤橋は現在、都内のM&A仲介会社で常勤監査役の職にある。妻と過ごす時を重ね、「もう少し働こうという気力が戻った」と語る。
自転車は1年前に始めた。日曜に二人で花見川や印旛沼沿いを、季節で変わる花々を楽しみながら巡る。長い時は一日40キロ走る。
「出世で得られるやりがいとは違うものもある」。妻から「立ち直れないと思った」と言われた人生の季節を乗り越え、藤橋はそう実感している。(敬称略)・・・
私自身を振り返ってみても、40代までは仕事が生きがいの毎日で、午前様の帰宅を勲章のように勘違いし、働きづめだったと思います。その間、二人の子育ては妻一人に任せきりでしたが、それは当然の役割のように思い、ご苦労さまの労わりの言葉さえなかったと思います。このことに気づいたのは、早期退職を考え始めるきっかけとなった会社の人事評価制度の見直しだったとは皮肉なものです。
今回引用紹介させていただいた元山一証券マンの藤橋さんの記事にあった「会社のことしか考えなかった生き方を変えよう」こそ、豊かで生きがいのある第二の人生を迎えるための試金石のように思えてなりませんでした。
自己実現は、人生において自己の可能性を追求することです。生存・経済的欲求は、人間の最低次元の欲求であるのに対し、自己実現の欲求は、人間の最高次元の欲求です。仕事だけが人生ではありませんが、人生80年時代に人生の三大不安から脱却し、自己実現の欲求を満たすには、そのための費用確保の手段が必要です。元山一証券マンの藤橋さんの生き方を参考に、自分の人生に一番いい結果を出す生き方を考えてみてはいかがでしょうか。