今回ご登場いただいたのは、東京都世田谷区在住のY様です。両親の豊かな愛情に育まれて聡明な女性として成長されたY様は、大学研究室での研究助手の仕事から大型コンピュータのプログラマーへと大変身。外国航空会社の国際線予約システムの日本版への移植という大プロジェクトの一員として活躍されました。この時期にパソコンとの初めて出会ったとのことで、現在では「Excelの達人」と呼ばれるほどの存在です。
大手航空会社を自主退職されてから、自己啓発を兼ねて、お客様とのコミュニケーション能力が重視される営業関係の仕事に従事し、現在も大手企業のコールセンターのスタッフとして活躍中です。
60代を迎えた現在、30年以上続けている乗馬をはじめ、フラワーガーデンでの花づくり、スポーツクラブでのエクササイズや読書など、仕事と趣味の両方で意欲的な毎日を過ごされています。
Y様は、筆者(CGBS代表の高橋)がホームページ作成業務を受託していた際に初めてお会いし、その後も折りに触れてお話しを伺ったり、ワインを楽しんだりする機会がありました。当時から和服の素敵な聡明な女性として、また年齢や性別を感じさせない積極的な姿勢に感心していましたので、インタビューをお願いしました。
インタビューは、まずは「大学の研究室助手からプログラマーへの転身」から始まりました。以下はY様のお話を要約筆記したものです。(文責:CGBS高橋)
◇大学の研究室助手からプログラマーへの転身
社会人としての第一歩は、ある先生の紹介で就職した東京大学の研究所の研究室での研究助手の仕事でした。この研究室は、理論物理学の基礎研究を行う研究機関で、教授の論文を英文でタイプしたりすることもありました。私がお手伝いしていた研究内容はとても費用のかかるものでしたが、興味深いものでした。例えば、レアメタルなどの研究データを整理し、レポートを作成したりしました。
数年後、父が転勤で札幌に移ることになりました。父に随行して札幌に移住して、父の身の回りの世話や家事をするだけではつまらないので、「札幌行きは嫌です!」と主張していました。すると家事をしてくれる人を雇うということになり、父と一緒に札幌に移りました。札幌では、東京大学の先生からご紹介いただいて、北海道大学で助手の仕事に従事しました。
北海道大学の仕事は、紙パンチャーの仕事のような単純なものが多く、少々退屈に感じていました。ここでの仕事を辞めるつもりはありませんでしたが、たまたま東京都港区青山にある富士通の電算機学校のプログラマー養成コースが目にとまりました。このプログラマーという職種に大いに興味が湧き、早速半年コースで勉強をすることにしました。このコースを卒業する頃、国内の大手航空会社からプログラマー募集があり、応募の結果、めでたく採用され、プログラマー生活が始まりました。
◇大手航空会社のプログラマー生活
この大手航空会社の仕事は、国際線予約システムの構築でした。米国IBM社で開発されたアリタリヤ航空の国際線予約システムを自社用に移植することでした。新米プログラマーとして働き始めましたが、巨大プロジェクトの一員としての誇りと責任が、やる気と誇りを鼓舞したせいでしょうか、とても充実した日々を過ごしました。
プロジェクト解散後は、国内線予約システムの修正作業を担当しましたが、どちらかと言えば、国際線予約システムの仕事の方が楽しく取り組めました。
その他、国際線のチェックイン・チェックアウト業務や運行乗員訓練部門でパイロットの教育の業務に従事しました。そして、東京支店勤務を最後に51歳で退職しました。
◇転職の誘いとコミュニケーションギャップ
大手航空会社の東京支店に勤務していた頃、乗馬で知り合った方から、ご自分の会社で働かないかというお誘いがありました。この頃、大手航空会社で希望退職の募集があり、条件も良かったので、希望退職に応募し、この方の会社で働くことを前提に、前述のように51歳で退職しました。
私はこれまで長い間働きづめだったので、少し休養する時間を持ちたいと思っていました。この意向はたびたびこの方に伝えていたので、十分理解していただいていると思っていましたが、そうではありませんでした。この方から「退職したら直ぐに自分の会社に来て欲しい」と言われてしまい、何度も事情をお話ししましたが、結局はコミュニケーションギャップを埋めることができませんでした。
結局、この方の会社には行けなくなりました。事前の雇用条件はとてもよかったのですが、私の希望と先方の要望の溝は埋まらず、この仕事は諦めることになりました。
◇50代から現在までの仕事
51歳で退職後は、CADを6ヶ月コースで受講しました。受講生も若者ばかりのところでしたが、募集も若者ばかりでした。2、3回の応募しました結果、CADでの就職は諦めました。
それからある生命保険会社に事務の仕事で入社しました。ところが実際は営業の仕事でした。営業はとても苦手な職種でしたが、2年間くらい頑張りました。そして、苦手だった営業の仕事もどうにかこなせる様になりました。
その後いくつかの職種を経験しましたが、正社員あるいはパートタイマーを問わず、営業系の仕事が多かったように思います。現在もコールセンターで間接的ながらお客様サポートの仕事に従事しています。
私は独り暮らしなので、予定は自分でコントロールできます。予定に縛られないように調整しながら、週に3日から4日、1日当たり5時間程度仕事に従事しています。
◇マイペースで取り組む健康管理と趣味の活動
健康管理は、特別なことはしていません。毎日の食事でバランスをとっていくように心がけ、ストレスが溜まらないように週に一回はスポーツクラブに通って、適度な運動を心がけています。
趣味というか、ライフワークとも言うべき楽しみは乗馬です。乗馬は、若い時には激しい運動になりますし、歳をとっても年齢に相応しい楽しみかたがあります。私はいつまでも乗馬は好きですね。
それから、世田谷区が管理している畑で2年間花作りをしています。日々の手入れに、手をかければかけただけ、きれいな花が咲いてくれますので、よい励みになります。
書籍では藤坂秀平さんの作品が好きですが、ほとんどの作品は読破しました。少し手強いけど源氏物語を読み始めようかなと、秘かに思っています。
私のモットーは、「今しかできないことは、今やること」です。時間を無駄にしないで、前向きに毎日を過ごしていくことが健康生活にもきっとつながると考えています。
<インタビュー後記>
お忙しい年末でしたが、お優しいY様は私たちの質問に一つ一つ丁寧に応えて下さいました。長時間のインタビューにも拘わらず、私たちにお気遣いをいただき、本当に頭が下がる思いです。
今回インタビューに応じていただきましたY様に感謝申し上げますとともに、今後のご健勝をご祈念申し上げます。