この特集企画の露払いは、10年間にわたる空気調和設備の設計者から一転して直販セールスに転職し、複写機、日本語ワードプロセッサ、オフィスコンピュータ、パソコン(MS-DOS/AX/Windows/Mac)、ワークステーション(Unix)、汎用プリンタ及びソリューションシステムコンサルティングと、事務機の草創期からソリューションビジネスまで、20数年間一貫して営業畑を歩み、勧奨退職制度を選択して55歳で早期自主退職後、翌年独立・起業で有限会社を設立し、61歳を迎えた現在も第一線で営業に従事している埼玉県在住の高橋が務めます。(文責:CGBS高橋)
もちろん、私はこの企画のタイトルであります「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」には、全く相応しくない営業畑一筋の野暮天です。ただ、体力と気力の続く限り生涯現役を務めるという意欲を胸に秘めている一企業人です。従って、定年後ではなく、55歳で早期自主退職し独立・起業した当時ついてお話します。
◇55歳で早期自主退職について
20数年間勤務したキヤノン販売(当時)でしたが、当時日本の大企業がこぞって導入した米国流の人事システムの導入で、中高年齢層の社員は大騒ぎでした。すなわち、日本の労使間の不文律であった定年まで安定雇用を保証する終身雇用制が企業活力阻害する最大要因として、これを否定するとともに、役職定年制導入など、まさしく青天の霹靂でした。米国系の人事コンサルティング会社の新しい人事評価システムについて評価者講習を受けながら、この評価者VS被評価者の立場が逆転し、自分が被評価者の立場に立ったことを考えて、ぞっとするだけでなく、言いようのない腹立たしさに襲われたことを今でも思い出します。永年勤続の誇りなどクズ同然という中で、怒りを禁じえなかったのは私だけではなかったはずですが、後に態度で示すまで誰も口に出しませんでした。
当時55歳でしたので、私自身この渦中の当事者でした。60歳まで会社にしがみついて定年を迎えるか、退職金が優遇される勧奨退職制度を選択して新たな出発を目指すかでとても悩みました。幸いにも、私の二人の子供は独立していましたので、夫婦二人のことだけに配慮すればよい状況でした。さらに、私の妻はこの選択には一切不干渉の立場で、私の自由な判断で決断するよう後押ししてくれました。
それでもあれこれと思い悩み、いつしか申告期限が迫って来ました。どのようなことを根拠に早期自主退職を選択するという最終決断を下したかは、正直なところ明確ではありません。役職定年制への不満があると言えばありましたが、それとて一過性のものです。キヤノン販売という会社が嫌になった訳でもありませんでした。あえて言えば、私のセールスマンシップの拠りどころであったトップが第一線を退いていて、自分の時代は終わったのかなという思いが強まったこと位です。
このような流れの中、最後は金銭面での比較と55歳以降の仕事をどうするかで結論を出しました。キヤノンというブランドの傘の下で定年まで過ごすより、少しでも早く独立・起業して、ブランドではなく、高橋自身の仕事をお客様に評価していただくのが男子の本懐であると信じ、2001年12月の最終勤務日をもって退職しました。
◇中央総合ビジネスサービス有限会社(CGBS)の設立から現在まで
キヤノン販売を退職した翌年2002年1月から6ヶ月間、GIS(地理情報システム)を利用したエリアマーケティングのリーデイングカンパニーである株式会社JPSでビジネスGISの訓練を受けながら起業準備を進め、同年11月1日付けで中央総合ビジネスサービス有限会社(CGBS)を資本金300万円で設立しました。当初は正真正銘のワンマンカンパニーで、営業・業務・経理・総務の一切を一人でこなしていました。
スタート時点では、30年以上前に取得した国家資格が効をなし、某大病院の空調設備保守業務を受注でき、自己都合で仕事を辞すまで3年間にわたって取引をいただきました。その間、IT関連の仕事をこなしながらLinuxやPHPに関する知識を学び、キヤノン販売時代には経験しなかったネットショップとeラーニング分野への取り組みをスタートすることができました。
会社設立5年目の今秋、ネットショップを中心とするWebビジネスの積極展開を図るために営業拠点を設け、張り切って営業に取り組んでいます。
<後記>
CGBS設立5周年を機にネットショップを中心とするWebビジネスを全面にした会社ホームページを公開しました。そのスペシャル企画がこの「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」です。できるだけ幅広い分野の達人にご登場いただけるよう頑張ります。読者の皆様のご声援、ご投稿をお待ち申し上げます。